親として教育について思うこと

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上の子が成人した。成人したからといってまだ大学生なので、経済的な面での独立はもう少し先になるだろう。

はたして僕は子どもたちにとって良い親だろうか。

僕は二人の子供たちに僕が僕の親からしてもらったことと同じだけのものか、それ以上のものを与えることができただろうか。



資産はいずれ無くなる、子供に残せる唯一のものは教育

「子供に残せる唯一のものは教育」と僕の父はよく言っていた。

なんとなくユダヤ人っぽい。(なぜそう感じるのか、根拠はない。)

おそらく祖父から言われた言葉なのか、どこかの本で仕入れた言葉だと思う。

ただ、それがただの受け売りではなかったのは僕らが良く知っている。

事実、彼は僕ら兄弟に「教育を受ける機会」と「環境」を提供してくれた。僕から見て彼のスゴイところは、それだけのものを与えながらも子供たちの愚行に対して過干渉しなかったことだ。そういった機会を活かすかどうかは「本人の問題」だとかなり冷めた対応をしていて、子供というよりも一人の個人として距離をおいて見られていたような気がする。

選択肢

おかげで僕は若いころから、かなり幅の広い選択肢を手に入れていた。

小中学校からの友達の現在の職業は、官僚、医者、教師、弁護士、旅客機パイロット、大学教授、芸能関係などなどかなり多彩だ。もちろん大企業で働いているものも多い。今この歳になって結果として振り返れば、あの頃に「何者かになりたい」と思ってその道を目指していれば、そう悪くはない率で夢を実現できる選択肢を与えられていたわけだ。

人は歳を取るごとに選択肢を潰していく。ライトをだんだんと近づけると光の円が狭まるように、人生の残り時間が短くなるにつれ物理的に到達可能な範囲が狭められていってしまう。

若い時に幅の広い選択肢が手の届く範囲にあったということはかなりのアドバンテージだった。学生であったときに程度の良い教育を受けさせてもらったおかげで、幸いにも今の僕は生き延びることができていると日々感謝している。

環境

もうひとつ与えられたものがある。

自分が義務教育を受けていた時代の首都圏の公立はかなり荒れていた。テレビでは校内暴力やボイコットが茶飯事のように報道されていたし、積木くずしという本が売れたり、追い詰められた中学教師が生徒を刃物で刺すという事件が起きたりもした。

僕が通っていた学校にもささくれた奴らがいるにはいたのだが、彼らはかなりマイノリティでまわりからは逆に格好悪いと思われていた。勉強することが普通な世界だったし、大学へ進学することが当たり前で、将来の夢について大風呂敷を広げてもバカにせずまともに議論にのってくれる仲間たちがいた。

子供の視野は狭い。自分が体感することができる狭い範囲の外界がその子の常識やら倫理やらを醸成する。社会に出て多様な育ち方をしてきた人々と会うごとに、自分が信じてきた常識やら倫理観が普遍的なものではないのだと今更のように気付かされることがある。

大学へ進学したり社会に出て高所得の仕事をもつことが人生を豊かにする唯一の手段だと言うつもりはさらさら無い。しかし、そういう将来像を嫉妬や羨望なしに普通のこととして友人たちと気兼ねなく語ることができる環境はかなり大切だ。

自分が与えられたもの以上のものを与えられたか?

上の子は高校に入ってしばらくしてから芸術の道に進むことを自ら決めた。

上の子は僕が学生だった頃に手にしていたのと同じ程度の数多い選択肢から、芸術系の大学を受験することを決めたのだ。

上の子の人生は、かなり楽しくまた歯ごたえのあるものになりそうだ。正直なところ、僕からするとかなり大胆な決断をした上の子を、日々羨望の眼で遠目に眺めている。

そして、近い将来、僕の子らが新しい家庭を持った時、その子供たちに対してどのような接し方をするのかを、おそるおそるではあるけれど見たいと思っている。

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